先週 義両親と1泊温泉旅行に行ってきました



近場の温泉に行って、翌日宿から出て、お昼まで時間があったので、実家に立ち寄った時のことです

どうしても必要なものが見つからずに、義両親が家の中を探し始めました

お義母さんが、たまたまお義父さん宛の日付のすぎたお店のハガキを見つけて、お義父さんに「捨てていいよね」と確認した瞬間

「捨てることはいつでもできるんだ!本当に必要なくなった時に捨てればいいんだ!と怒りスイッチが入っちゃいました

結局、捨てることなく元の位置に戻されました

普段はとっても温厚なだけにびっくりしましたが、これこそが「断捨離は家族には理解されなくて大変」な部分なんだろうなとひしひしと感じたわけです

あっ、お義父さんはいつまでも怒るタイプではなく、一瞬の出来事で、すぐに落ち着くのでご安心ください
お義母さんも全く意に介していません

捨てる減らす

地震の報道を目や耳にしたり、普段からモノが多いなと自分が感じ始めた時に、家の中のモノを減らそうと思い始める
手放す

何かを思うこと、それはとても自然に起こってくる衝動です

その「自分だけ」に湧いてきた衝動を実行する時に、すんなり家族が受け入れるかはわかりません

先ほど書いたように、怒りスイッチが入るかもしれません

その前にまず

なぜモノを手放そうとすると怒るのか?
それは「これもこれも自分のモノ」という思いが強いと、守ろうとする意識が強くなるので、自分の元から手放すことで、自分の何かが無くなってしまうという得体の知れない恐怖感に襲われるからではないかなと最近思いました


本当は、喜怒哀楽も自然に自分の中からわき起こってくるので、この理由が絶対に当たっているとは言い切れませんが、理由を聞かれたら、多分そうだろうなと思うわけです

そう思うのも、自分のここ数年のモノを手放していく感覚が「自分のモノ」という思いがとても薄く「全てが循環している」ことが感じられるので、思いのわいたまま生活できているんです

分かってもらえないからと言って、地震がきたら危ないから減らそうとか、お金を貯めるために減らそうと熱弁しても、それでも家族が賛同するとは限りません

何かをしたら、何かを得ると期待するより、自分に湧いてきた「そのやる気」を大事にするってどうでしょうか

家の中のモノを見直したいなら、
自分のモノを手放すことから始める
手放し方を調べる
モノを選り分ける
手放すモノを袋に詰める、ゴミ捨て場に持っていくなり、売りに行く
この行動が途中で終わったとしても、それでもいいんです

ダメじゃないし、負けることでもないんですよ

誰かに何か言われても、自分を責める必要はないんです
できなかったんだね〜でいいじゃないですか

思ったことを最後までやりきることができない時だってあるんです

我が家はたまたま妻がミニマリストを知って行動したら、主人の方がミニマムな人になりましたが、当時はこんなことになるとは夢にも思っていませんでしたよ
たまたまなんです(ゆるいかもしれませんがそうなんです)

やろうと意気込んで、途中でやめたこともたくさんあります

こだわりとゆとり

お義父さんの「捨てることはいつでもできるんだ!」と言う怒りの言葉、1年前の私なら、胸の内で「そんなの捨てろや〜」と怒り狂って、温泉の楽しかったことも忘れて、いつまでもこだわっていたと思います
ですが、今回は一理アルヨネ〜という気持ちがでてきてました

一旦受け入れてしまうと気持ちに隙間ができて、ゆとりができました


ほんの少し俯瞰することができるようになると、落ち着きが出てきます

自分に減らしたい願望がわいてきたら、自分のモノから手をつけていく
そこで、家族が興味を示したら、少しづつ話してみるといいかもしれません

モノを減らしても、自分の中にあるものは全く減ることがないことが分かってくると、モノを減らす速度は進んでくるのかもしれませんね

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