神社に行ったら、ひなたぼっこ中の「白猫さん」に出会えました


まるで境内の彫りものみたいで、出会えてラッキーな気分に!
写真を撮る許可を神さんと猫さんにもらいました
(写真を撮らせてくださいと言うだけですが、ダメだと不思議と撮れない状況になるのでお伺いは立てるようにしてます)

せっかく撮れたので、みなさんにもラッキーのおすそ分けさせてください
猫嫌いでも、犬好きさんでも平等にラッキーがきますように^ ^
神社の猫さん

好きなことをすることと人の思い

ここはすごく「お気に入り」というお店はありますか?
私はあります
大型店にも行きますが、最近は、小さなお店に入るのが好きです
一人で切り盛りしているお店や家族経営のお店です

何がイイの?と聞かれたら、モノも良いのですが、話すことができるのがすごくいいんです
そう、自分にとって必要な話が聞けるから好きです

急速にインターネットが普及して便利になっても、人が経験したことを誰かの口から聞くってすごく大事だなと学びました

変な話、ニュースは自分にとって全てが必要ではないと感じます
悪口を言いたい訳ではなく、知らぬが仏ではないですが、聞かなければその恐怖感は襲ってこないよねっていう情報もあったり、必要以上に恐怖感を煽るニュースは私にとってはあまり必要ではないのです

「ニュースを隅々見ないなんて、頭が悪いやつだ」と思われても、相手がそう思ったのなら、その人にとって私という人はそういう人なのでしょうねと思うだけです
みたい時に見る、聞きたい時に聞く、新聞でもなんでも必要な時に私にとって必要なことは起きてるので、自分を信じてます

そして、わいてくる思いは十人十色なので、あの人に頭が悪いと言われたから、今はやりたくないこともしなければいけないのかな?頑張ることでそれなりの結果は出ることもありますが、ものすごく嫌なのにやったら、すごく自分が疲れて、他の人にはその頑張りが違う印象にうつるかもしれません

そうしたら、また何か言う誰かの為に自分の好きなことを我慢して頑張るのかな?
それが普通?それが自分のあり方?
本当の私はどこにいるのかな?

それでは実験です
人に私はどういう人?と聞いた時、相手は
優しい人
気がきく人
仕事ができる人
話がうまい人
面白い人
短気な人
怖い人etc・・・と言われたとして、あくまでそれは「その人にとってのあなたの印象」です
ということは、たとえ短所を言われても、その人の頭の中に思いとして出てきて、口に出してるだけです
本当のあなたは何人もいますか?
いませんよね?
ということは、自分の中でその言葉を消化すれば、何かあっても、本当は傷つく必要はなくて、むしろ活かせるように動いていきます

といいますか、誰かにとって自分という人間の印象なんて固定されていなくて、人の数だけ自分があることに気づきませんか

私?

では本当の私はどこにいるのでしょう?

当たり前ですが、ここにいますね(笑)

では私って?と考えた時、誰かの印象に沿った生き方より、自分は自分のセンサーで自由に生るのが本当の自分なのかもとなりませんか?

そんなのはワガママだよと言われても、ワガママな私がそこにいるというより、そこには「〇〇さんはワガママ」と自然に思うあなたがいるだけな気がしませんか
どこから来たのかその思い
たどれば、地球ができた時まで辿れそうです(笑)

なので、誰のせいでもなく、その印象を持ったことが悪い訳でもなく、思っただけなんだな〜と落ち着くと、衝突も減ってきて、また違った思いで自然に行動ができてきます

本当のお金持ちが、自分の好きなことをすればいいと言うのは、誰かの思いを汲み取りすぎる自分より、本当の自分を知る大切さを教えてくれているのかなと私は考えます

自分センサーで生きる人になると、固執せず広い目で周りを見れて、そこでやっと本当に誰かの何かの役に立つことを知っているのかもしれません

有名にならなくても、あなただからと言ってくれる人が出てきたりする

「私は生きてる」ということを充実させるとはどういうことなのかなと考えた時に、自分のセンサーを無理なく使えることなんだなと考えます

自分センサーは誰でも持っていて、頭の良し悪しは全く関係ないです
もし、すぐに見つけられなくても、感じなくても「センサーをちゃんと持っていると信じてみること」で徐々に反応して動いてくると私は考えています

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