自宅にはどのくらいのモノがありますか?って聞かれたら、どう答えますか?
「普通の一人暮らしの荷物です」
「普通の◯人家族くらいの荷物です」
普通ほど曖昧な言葉はないので、普通の◯人家族くらいでは相手に伝わりづらいかもしれません
私がこれで伝わらなかったことがあります
どのご家庭も、「これが普通」だと思っているところがあるので、ミニマムな生活をしている我が家も誰かにとっては、モノがなさすぎても、住んでいる私たち夫婦はこの生活が普通だと思っています
でも、何と比べて普通となっているのかな?
テレビ?
雑誌?
誰かの家?
実家?
何度か紹介していますが、断捨離前の母の台所を例にとると
これは母的には普通でした

断捨離前の母曰く「手を伸ばせば全て取れる、これがいいの」と自慢げに言っていました
でも実は、収納の中には使わないお鍋や調味料がたくさん入っていてあぶれたモノを掛けるしかなかったんです
それが断捨離後

使わないものを全て手放し、使うものだけにしたら、全て収納に収まりました
私もそうですが、つい比べて安心したり、焦ったりしちゃう
そこには自分の暮らしがどこにもないんです
自分や一緒に暮らす家族じゃなくて
よそ様の誰かさんと自分(家族)という比較は自分に近づくよりどんどん遠のく感じがします
ここにいる自分は暮らしやすい生活かな?と落ち着いて実際に見えるものを見つめてみると間に何も挟まずに現実の家の中が見えてきます
そうなると、普通だと思っていたあれはなんだったのだろう?
そこから怒涛のモノ選びが始まった時に、いろんなことが動くと私は断捨離で実感しました
人生が逆転した感じです
私は実感していましたが、ちょうど先日お会いした方(ミニマリストではありません)が断捨離経験者でこんな話をしてくれました
「家族との引っ越しで、どうしても断捨離しないといけなくなって、家具や使わないモノをたくさん手放した時、物事がすごくまわったまわった(笑)」
ちょうど、母も面白いことを言い出したんです
「断捨離後から、生きてる実感がある」
「いろいろあったけれど、私こうやって生きてるわ、もう大丈夫だわ心配ないわ」って言うんです
大丈夫という実感は、今の自分を安心させます
そうなると、何か起こっても冷静な対処をするし、そのように動いてくる
使えるモノを捨てる=悪いことという罪悪感的な意識でみるか
捨てたモノだって循環している=大丈夫という意識でみるか
もったいないは美徳のようですが、それは使って磨いてなんぼの話だと思うんです
使わずにそのままほっとくほどかわいそうなことはない
長い間、話し相手もいなくて、外にも出られない、何も聞こえない掃除もしてもらえない暗い部屋で何十年も収められたらどうですか?
やっと陽の目を見た時、ごめんね、ありがとうと言われたら?
目に涙を浮かべそうです
たとえそれがゴミとなったとしても循環することを知っていたら、喜びに変わる気がします
モノに言葉をかけて手放す大切さは、双方のわだかまりを解く意味でも必要と感じます
今後も、必ずモノと一緒の生活をしていきます
モノのない生活は考えられません
大事で大切なモノを見極めるのは自分です
全く関係ないようでも、モノと自分はとても繋がっているし、それだけで自分も大事に扱えるようになっていくのかもしれませんね
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「普通の◯人家族くらいの荷物です」
普通ほど曖昧な言葉はないので、普通の◯人家族くらいでは相手に伝わりづらいかもしれません
私がこれで伝わらなかったことがあります
どのご家庭も、「これが普通」だと思っているところがあるので、ミニマムな生活をしている我が家も誰かにとっては、モノがなさすぎても、住んでいる私たち夫婦はこの生活が普通だと思っています
でも、何と比べて普通となっているのかな?
テレビ?
雑誌?
誰かの家?
実家?
何度か紹介していますが、断捨離前の母の台所を例にとると
これは母的には普通でした

断捨離前の母曰く「手を伸ばせば全て取れる、これがいいの」と自慢げに言っていました
でも実は、収納の中には使わないお鍋や調味料がたくさん入っていてあぶれたモノを掛けるしかなかったんです
それが断捨離後

使わないものを全て手放し、使うものだけにしたら、全て収納に収まりました
私もそうですが、つい比べて安心したり、焦ったりしちゃう
そこには自分の暮らしがどこにもないんです
自分や一緒に暮らす家族じゃなくて
よそ様の誰かさんと自分(家族)という比較は自分に近づくよりどんどん遠のく感じがします
ここにいる自分は暮らしやすい生活かな?と落ち着いて実際に見えるものを見つめてみると間に何も挟まずに現実の家の中が見えてきます
そうなると、普通だと思っていたあれはなんだったのだろう?
そこから怒涛のモノ選びが始まった時に、いろんなことが動くと私は断捨離で実感しました
人生が逆転した感じです
私は実感していましたが、ちょうど先日お会いした方(ミニマリストではありません)が断捨離経験者でこんな話をしてくれました
「家族との引っ越しで、どうしても断捨離しないといけなくなって、家具や使わないモノをたくさん手放した時、物事がすごくまわったまわった(笑)」
ちょうど、母も面白いことを言い出したんです
「断捨離後から、生きてる実感がある」
「いろいろあったけれど、私こうやって生きてるわ、もう大丈夫だわ心配ないわ」って言うんです
大丈夫という実感は、今の自分を安心させます
そうなると、何か起こっても冷静な対処をするし、そのように動いてくる
使えるモノを捨てる=悪いことという罪悪感的な意識でみるか
捨てたモノだって循環している=大丈夫という意識でみるか
もったいないは美徳のようですが、それは使って磨いてなんぼの話だと思うんです
使わずにそのままほっとくほどかわいそうなことはない
長い間、話し相手もいなくて、外にも出られない、何も聞こえない掃除もしてもらえない暗い部屋で何十年も収められたらどうですか?
やっと陽の目を見た時、ごめんね、ありがとうと言われたら?
目に涙を浮かべそうです
たとえそれがゴミとなったとしても循環することを知っていたら、喜びに変わる気がします
モノに言葉をかけて手放す大切さは、双方のわだかまりを解く意味でも必要と感じます
今後も、必ずモノと一緒の生活をしていきます
モノのない生活は考えられません
大事で大切なモノを見極めるのは自分です
全く関係ないようでも、モノと自分はとても繋がっているし、それだけで自分も大事に扱えるようになっていくのかもしれませんね
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