そうじとモノを減らすことをワンセットにする暮らしをするようになって思うのは「やって良かった」の一言です。
誰でも平等に年齢を重ねていきますが、だからと言ってモノも一緒に増やさずに、逆に数を減らして行くと生活しやすくなるというのが、私や、母も実感しているところです。
いくら物質的なモノが減っても、自分が重ねてきた思い出や経験や知恵という「大事な灯火」は決して朽ち果てません。
むしろ、年々深みを帯びてくる気がします。
モノの価値
最初は、娘の私が何を言っても、モノを減らすことに相当な抵抗感のあった母ですが、今では、自分でしっかり見極めができるほどになりました。
むしろ私より、手放し方については勢いがあるかもしれません(笑)
ここまで手放せるということは、実は自分の中で、モノという価値を何か間違って見ていたのかもしれません。
本当に大事なモノは
今、大事なモノって絶対にあると思うのですが、それは何ですか?
究極は、家族だったり、身近な人だったり、命あるものだと思います。
それ以外だと、
モノですごく大事というより最近は、
物知りでも何でもない私ですが、それでも今までの経験や、自分の知っている範囲のことを人に提供して、それで笑ってくれる人が一人でもいるって嬉しいなと思うようになりました。
例えば、トイレそうじしたら、気持ち良かったよ〜とか。
〇〇を教えてもらって良かったよ〜とか。
モノを減らして良かったわ〜とか。
本当に大事なのは、モノより自分の培ってきた中身なのかもしれません。
人の人生は、誰一人同じではないわけですから、みんなが個別にいろんなことを知っています。
人それぞれの「味」がある。
何かに縛られずに、持ち味を生かして生活できるととても楽しいです。
さいごに

本当に大事なモノを探してみた時に見えるのは、モノではなかったと言う結果が私の中で出ました。
モノを全く持たない選択はできませんが、本当に大事にしたいことは、自分や周りの人が充実する生き方を求めていくことなのかもしれません。