後で・後で・後で
後で洗濯しよう。後で食器を洗おう。後でそうじしよう。後で片付けよう。
後で、後でという、この言葉は以前の私が使うとき、そこには
「めんどくさい・それより好きなことをしたい」という気持ちが先に立っていました。
そしてこの「後で〜」は、私に取って部屋を荒らしていく言葉でした。
なぜか?
結局、後でを使ったときほど何もしない私だったから。。
「後で〜しよう』は2通りある
「後で〜しよう」を使うことって、2通りあると思うんです。
一つ目は、綺麗にすることが身体に染み付いている場合の後回し。
毎日同じペースで家事ができない時ってありませんか?
例えば:急な来客や、家族の都合で家事ができない場合。
そんな時は「これが終わったら部屋のそうじ」「そして次は食器を洗おう」というように、頭の中で次にすることを組み立てておいて、しっかり後で家事を行うことができる後回し。
二つ目は、以前の私のようにめんどくさいから、後回しにする場合。
何も用事がなく、自分の好きなことを優先したいがために後回しにする。
ずっと寝ていたい。ずっとテレビを見ていたい。友人と出かけたい。
散らかし大将の私だったので、はっきり言えるのですが、
後でやろう
↓
明日しよう
↓
いや、次の休みにしよう!とその時だけ意気込みはすごい
↓
休みがくる、まぁいっかと、意気込みも消え失せ、結局汚れを見ないようにして、汚部屋に慣れる
見慣れることの良し悪し
TVなどで、ゴミ屋敷を見て、よくあんな部屋に住んでいられるなぁと、思うのですが、結局、あれは慣れなんじゃないかと思うんです。
毎日同じ空間にいると、人間は慣れてしまう。
この、慣れるを良い意味に転換すると、綺麗にすることだって慣れることができる。
私のような出来ないと思い込みがちな頭でっかちでも、綺麗にすることに慣れました。
時間泥棒
私が家を綺麗にしようと、動けるようになって思ったのは、
後回しって、最終的に自分の時間を奪われる。ということです。
そうじや片付けを後回しにして、汚れた部屋は、歩きづらい、そうじに時間がかかる、人も呼べない。
人が来ようものなら大騒ぎして、出しっぱなしの洋服を畳んで、床に散らばったモノを片付けて、大掃除をする。
そんな時に限って、急にのっぴきならない用事ができたら、頭の中はストレス&パニックです。
後悔先に立たずだなぁとため息。
幾度となく、この後悔を繰り返していた私でしたが、モノが減ったおかげでこの後悔の連鎖から放たれました。
大げさに聞こえそうですが、本当にそうなんです。
モノを減らしたり片付けたり、そうじしたり、やったことがないことを始めるのは、はっきり言って面倒です。
ですが、人はとても柔軟だと思うので、最初は面倒でも続けていくと慣れるものだと思います。
40年以上だらしない生活をした私が2年かからず変わることができました。
もし、面倒だから後でしようと思ったら「あっ時間泥棒が、知らぬ間に私の大事な時間を奪いにきてる」と思ってみてください。
すぐにできることは後で回さず今してしまう。
それは結局のところ、自分に好きなことをする時間を作ってあげていることなんだと思います。