ここ数日の間風邪で休んでいました。
鼻炎の私はだいたい鼻水が止まらないのですが、今年の風邪は喉からきています。
おかげで鼻水は出ないのでティッシュを使うことなく生活できています。
みなさんも風邪にはお気をつけください。
さて先日の夜、仕事の終わった主人を迎えに行こうと車に乗ったら、前日まで普通に乗れていた車がうんともすんとも言いません。
迎えは諦めて、主人にタクシーで帰ってきてもらいました(約2千円)。
そして翌日ディーラーの担当者さんが来て修理代金は何と6万円になると言われました。
この車は先月車検を通したばかりで費用は約10万ちょっとかかっています。
車検を通したばかりなのに、6万円もかかって割に合わない運がない。と以前の私なら憤慨した後、落ち込んでいたと思います。
人生うまくいってます
「運がない」の一言で終わったら、今回の出来事すべてがネガティヴになってしまいます。
実はちょっと考えればツイていることだったんです。
- 遠出した場所で故障せずに良かった
- 主人を迎えに行かないおかげで、夕飯を作る時間が増えて、食事がちょっと豪華になった
- ディーラーの店舗が近いので、翌日すぐに担当者が来てくれた
- 代車をすぐに用意してくれた(急な場合は代車がないこともある)
- ディーラーの担当者が最近変わって、整備から営業になった人なので、細部まで点検してくれたおかげで早く原因がわかった(単なるバッテリーの寿命かと思いきや、もっと細部の故障だった)
- 車検から時間が経っていないので、修理金額を10%引きにしてくれた
- 故障した時期が、賞与の時期だったので支払いもできる
本当は故障しない事が一番良い事かもしれません。
ですが、人間だって、モノだって故障する時はきます。
なので結果を悲しむより、そこに来るまでの過程を考えたら実は良い事づくしだったということが結構あるんです。
頭が春めいてると言われたら、そうかもしれません。
悪くとったら何でも悪くとれますが、逆を取れば都合の良い取り方の方が、変にこだわる必要がないので逆に良い思い出に変わります。
さいごに
私の好きな小林正観さんは人生は4つの「おつきあい」という本でこのように書いているので引用します。
運を良くしたければ、「自分は運がいい」と言うこと。その瞬間から、運が良くなっていくみたいです。
宇宙的にみれば、運が良い現象というのはなく、運が悪い現象というのもありません。
したがって、運のよしあしは宇宙的に決められません。
決められるのは本人だけ。
本人が「運がいい」と言えば、「運がいい」人になってしまうのです。
この言葉が眉唾ものかどうかは受け取る本人次第ですが、少なくとも私は信じています。