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その『救い』、本当に必要? お金をドブに捨てない、『わたし』の秘密の解き方

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注釈:この文章には、私の偽りのない「想い」や、本当に大切だと感じるメッセージを込めています。そのため、一部、情熱的あるいは断定的な響きのある表現を使っていますこと、お伝えしておきます。

友人Aが話してくれたある経験をきっかけに、なぜ人は『救い』を求めるのか、そして本当の安心はどこにあるのか、私なりに探求して記事にしてみました。

日常のモヤモヤと『救い』を求める気持ち

なんかモヤモヤ、ざわざわする日って、ある? これでいいの?って立ち止まること。

子育て、仕事、将来… 忙しいほど、心は不安になる。

そんな時、「誰かに頼りたい」「確かな答えが欲しい」と『救い』を求める。

救われたいって思うのは、正直当たり前。

だから「スピリチュアル」とか、「占い」とかいかにも未来がわかるようなキラキラしたものに惹かれる気持ちも、痛いほどわかる。

一時的に楽になる? ホッとする? そうだろうね。

一時的な安心とその限界

でも、その安心感がいつまで続く?

気の利いた言葉の後、また同じ不安が頭をグルグル回ってない?

数万、数十万つぎ込んでも、結局、根本は何も変わってない。

ただの一時しのぎに過ぎない。

そこに気づかないと、金と時間、マジでドブ行きなんだよ。

「スピリチュアル」って言葉、便利すぎないか?

「スピリチュアル」って言葉、便利すぎないか? 見えない力? 運命? 前世? 鑑定?人によってイメージバラバラ。

本来もっと深い、人の精神性とか、内面の探求でしょ。

それが、曖昧さにつけ込まれて、非日常とか、時には高額な商品やサービスと結びついてる。

もし君が、そうした外側のナニカや誰かに「救い」求めて、お金と時間使って、でも心の奥底の不安や「思考の癖」が何も変わらない…って経験があるなら、それは「スピリチュアル」って言葉が持つ、曖昧さゆえの落とし穴だ。

実は「わたし」のほとんどは「謎」だった? ~科学とブッダが見ていた真実~

「わたし」って、自分で考えて判断して動いてる、と思ってる。

意識的な「考える私」は、いるって感じる。

だけど、科学は言う。「それ、全体のほんのごく一部だよ」って。

なぜか理由もなく人が苦手、三日坊主になる決意、勝手に始まる思考グルグル… これ、意識?違う。

心や脳の、もっと自動的な部分、いわば「無意識のわたし」が、勝手に動かしてる。

脳は常にフル回転。

過去の経験、感情、体調が絡み合って、思考も感情も自動生産。

意識は、その「結果」を後から見てるだけ。

意識なんて、マジでほんの一部分。

この「わたし」の大部分は謎、意識じゃ操れない── このヤバい真実に、2500年前に気づいた奴がいた。

ブッダだ。

特別な力? 魔法? 違う。

ただ、自分の心と体を「ひたすらに現実をありのままに観る」探求を極めた。

そして見抜いた。

体も湧き起こる感情も、頭に浮かぶ思考も、意識そのものも全部常に変化し続ける、一瞬たりとも留まらない移ろいゆくものだって。

「これが永遠不変の私だ!」と掴もうとしても、それは次の瞬間にはもう変わってる。

つまり、どこにも「常に変わらない、確固たる『私』という実体」なんてない。

これが仏教の根幹にある「無我」。

意識的な「考える私」が全体を完全にコントロールする中心じゃないこと。

「私」という感覚そのものが、様々な要素が条件で集まり、そして離れる中で生まれる「現象」であること。

これ、現代科学がデータで見せてることと、はるか昔ブッダが瞑想で見抜いたことが、不思議と重なってる人間の「ありのままの姿」なんだ。

じゃあ、どうすれば? ~お金をドブに捨てない、「わたし」の秘密の解き方~

「わたし」って、意識的な「考える私」だけじゃない、深くて自動的で謎だらけ…しかも「私」って感覚自体も、固定された実体じゃなく常に変化する働きで成り立ってるらしい…。

「心の癖」を見つけ、自分だけの「工夫」を生み出す

だとすると、私たちが「救われたい」「答えが欲しい」って思った時に、意識で「頑張って前向きになろう!」とか、外側(サービスや誰かのアドバイス)に「答え」を求め続けたりするだけじゃ、いつまで経っても満たされないの、頷けるでしょ?

答え探す「意識」自体が、全体のほんの一部なんだから。

本当のヒントは、外じゃねえ。アンタ自身の「無意識も含めた、ありのままの心の働きを知ることにある。

じゃあ、どうやって自分自身の「わたしの謎」を探求する? 金をかけずに「日常で。」

最高の探求法を提案しよう。それは「思考や感情を『観察』してみる」ってアプローチだ。

頭グルグル? 「あ、今、将来の金で不安になってるな」「過去の失敗か」「あの人にムカついてるな」って、心の中で実況中継してみる。

良い悪いの判断? 止めようと焦る? いらない。 ただ「眺めてみる」んだ。

川を流れる葉っぱみたいに、思考や感情を「また来たな」「ふむふむ」って、岸辺から一歩引いた視点で見守る練習。

続けると、やがて「心の癖」が見える。

「疲れるとグルグル」「あの人とだと不安になる」「夜はネガティブ」… 自分の「思考パターン」「感情パターン」が丸裸だ。

これ、誰かに高い金払って診断してもらうものじゃない。

自分の心に丁寧に向き合った、アナタだけの「取扱説明書」。

この「癖を知る」が、金のかからない「工夫」を見つける何よりのヒント。

「じゃあ、こんな時は休むか」「このテーマ、今は考えんのやめとこう」って、自分に合ったやり方が見つかる。

(友人もこれで「集中時間を作る」って工夫見つけた)

本当の安心は、お金では買えない、アナタの内側にある

外に「救い」や「答え」があるように見えたら、そりゃ頼りたくなる。

ワラにもすがりたい? 金払ってでも確かなもの欲しい? その気持ちもわかる。

だが、本当の安心、「わたしの謎」を解き明かす鍵は、流行りの「スピリチュアル」や「占い」などの高いサービスじゃなく。

アナタ自身の内側だ。 心(頭も体も全部)と、その働きそのものにある。

自分の内側で起きていることを「観察」、癖を知る、工夫を見つける。

これ、誰かに依存する? 特別な能力必要? 全然。

金もかからない、誰でもできる、一番地に足ついた自己探求だ。

どれだけ続けてもタダ。

必要なのは、ちょっとの「気づこう」って意識と、心を見る時間だけ。

これは一時しのぎじゃなく、漠然とした不安や思考グルグル、将来の課題に自分の力で向き合うための確かな土台になる。

最後に:内側を見るしか、結局ラクになる道はない

「わたし」という存在は、正直、謎だらけ。

全部を意識でコントロールできる? 無理に決まってる。

でもな、その謎を放置したまま、外に「救い」だの「答え」だのを探しに行くから、余計しんどくなる。

自分の心や体が、どう反応して、どんな癖で動いてるのか。

それを知ろうとするだけでいい。

派手なことは一切いらない。

ブッダも科学者も、やってたのは同じこと。

奇跡も覚醒もない。

ただ「内側で何が起きてるか」を、逃げずに見ただけ。

それ、アンタにもできる。

誰かに導いてもらう必要も、金払う必要もない。

外に答えがあるフリしてるものほど、だいたい高い。

そして、何も残らない。

日常で十分だ。

イラついたとき、不安になったとき、「はい来た。いつもの反応ね」って気づくだけ。

それだけで、振り回され方は変わる。

金はいらない。

必要なのは、逃げない根性と、ちょっとした好奇心だけ。

特別な人生? いらない。

普通の暮らしの中で、自分の扱い方がわかれば、それで勝ちだ。

安心は買うもんじゃない。

自分で作るもんだ。